東京でのゼノ・ゼブロフスキ修道士の逝去40周年記念祝典

2024年4月24日、駐日ポーランド共和国大使館にて、ゼノ・ゼブロフスキ修道士の逝去40周年記念祝典が開かれました。ゼノ修道士が1930年4月24日に日本の地に上陸し、1982年の同じ日に亡くなったという事実は驚くべきことです。これはおそらく偶然ではなく、神のしるしかもしれません!

フランシスコ修道会の宣教師が天に召された40年後、全く同じ日である2024年4月24日に、駐日ポーランド共和国大使館は、この偉大な人物であるポーランド人フランシスコ会修道士-日本にとっても偉大な英雄であるポーランド人について、日本の方々へ知らせるために素敵な式典を開催しました。

ゼノ・ゼブロフスキ修道士は、日本の宣教団体の創設者であるマクシミリアン・コルベ神父の協力者でした。マキシミリアン・コルベ神父は7年間日本に滞在した後、第二次世界大戦の勃発後、オシフィエンチム(アウシュビッツ)-占領されたポーランドにあるドイツの強制収容所で、妻子のいるフランチシェク・ガヨヴニチェクの代わりに、自らの命を捧げる殉教を遂げました。

ポーランドを離れた後、ゼノ修道士が故郷に戻ったのは1971年の一度だけで、その時は家族や修道会の兄弟たちと再会しました。ゼノ修道士は奇跡的に長崎の原爆投下から生き延び、この恐ろしい悲劇から生き残った人々を助けました。神の愛に導かれたゼノ修道士は、貧しく困窮する日本人のための慈善活動により、彼らからの信頼を得、敬愛される人となりました。彼は日本の英雄となったのです。

彼の宣教活動は、昭和天皇および皇族からも認められ、尊敬されていました。日本政府は、彼の慈善活動と献身的な働きに感謝の意を込めて、最高位の勲章である「瑞宝章」を授与しました。また、日本全国で使用可能な無料の鉄道切符も授与されました。ゼノ修道士は長崎に貧しい子供たちのための最初の孤児院を設立し、昭和天皇も訪れました。

第二次世界大戦は、多くの日本の街を廃墟にしました至る所で街が破壊され、貧しい人々は苦しんでいました。ゼノ修道士の慈善活動は、日本の地におけるポーランド人フランシスコ修道会士たちの新しい宣教活動の1つの形となりました。元々の目的であった、布教誌「無原罪の聖母の騎士」と、奇跡のメダイの普及に加えて。

終戦後、日本は荒廃していました。ゼノ修道士の努力のおかげで、貧しく家の無い子供たちのための孤児院が「キノコ」のように次々と作られ、「アリの街」として日本で知られるようになりました。ゼノ修道士の、貧しい人々や困っている人々を助ける慈善活動に、善意のある人々が参加していきました。そのようなボランティアの中で特に優れた人物だったのが、祝福された若い少女、北原怜子でした。ゼノ修道士の要請で、彼女は若い頃、東京の「アリの街」で孤児たちの世話をしました。しかし、彼女は結核で若くして亡くなりました。彼女はわずか28歳でこの世を去り、若く信仰の篤いクリスチャンとして、神聖な存在として認識されています。

ゼノ修道士は宗教、社会的地位、信仰に関係なく、すべての日本人の友人でした。かつて日本によって飢餓と死から救われたポーランドのシベリア孤児たちの歴史を知っていたゼノ修道士は、貧しく家の無いの日本の子供たちに最も心を痛めていました。彼は、それらの子供たちが日本の未来を担っていく存在であることを理解していました。

日本では、白髪のひげを生やしたフランシスコ修道会の宣教師について、いくつかの本が出版されました。ゼノ修道士の日本での宣教活動についての映画も制作されました。長崎には、聖マクシミリアン・コルベ神父とゼノ修道士のために建てられた博物館があります。

2024年4月24日午後3時、「駐日ポーランド共和国大使館におけるゼノさんの日」と題した式典が始まりました 。式典は、ホストであるパヴェウ・ミレフスキ駐日ポーランド共和国大使の挨拶で始まりました。その後、ユスティナ・ログスカ、ポーランド広報文化センター副所長によるゼノ修道士の展示についての説明がありました。

展示は複数のパネルで構成されており、ゼノ修道士の、フランシスコ修道会宣教師として、また日本の英雄としての人生が簡潔にまとめてあります。パネルの文章は英語と日本語両方で書かれています。2言語で書かれているため、この展示は日本に限らず世界中の幅広い人々に届くでしょう。

続いて、ゼノ修道士の甥で、今回の式典の名誉ゲストであり、フランシスコ修道会士である、イェジ・ジェブロフスキ神父のスピーチがありました。イェジ神父はゼノ修道士の家族とフランシスコ修道会の代表でした。イェジ神父の来日は、スピーチの冒頭で触れられた「小さな奇跡」に関連しています。つまり、天国のゼノ修道士が彼を導いたのでしょう!

式典のプログラムには、上述のゼノ修道士の展示の除幕がありました。ゼノ修道士の生涯に関する本の著者である石飛仁氏によって、この除幕は行われました。次に、エンターテイメントユニット「自由の翼」による素晴らしい朗読劇『ポーランドから来た 風の使者ゼノ』がありました。その後、光塩女子学院中等部・高等部聖歌隊による素晴らしい歌声の聖歌が披露され、ゲストたちは魅了されました。またコンサート中、同校の生徒たちがピアノ曲を3曲演奏しました。ステージで演奏したすべてのアーティストに大きな拍手と象徴的な赤いバラが贈られ、名誉ゲストには花束が贈られました。最後に、ステージ上で記念写真が撮影されました。

式典のために、大使と大使館のスタッフが素晴らしい準備を行ってくれました。式典は、彼の死から40年が経った後、日本の地において、ポーランド人宣教師の活動を広める良い機会となりました。このイベントは日本のメディアでも報じられました。駐日ポーランド共和国大使館が主催したこの最初の式典は、ポーランドと日本の友好関係の更なる強化へとつながるでしょう。ゼノ修道士の死から40年経った今でも、彼についての記憶が日本国民の中で生き続けていることを嬉しく思います。

カトリック関連の書店では、特別なフランシスコ修道会の宣教師であり、偉大なポーランド人であり、そして「日出づる国」の英雄である彼についての本を購入することができます。東京のカトリック府中墓地にある彼の墓と、富士山麓の立派な記念碑は、彼のことを思い起こさせます。式典に先立ち、駐日ポーランド共和国大使館は、ゼノ修道士の墓と記念碑の両方に、ポーランド語で情報が書かれた特別なプレートを準備して設置しました。最近では、偉大なポーランドのフランシスコ修道会宣教師、聖マクシミリアン・コルベ神父とゼノ・ジェブロフスキ修道士、そして日本のボランティア、北原怜子の足跡を辿るために、ますます多くのポーランド人が巡礼者として日本を訪れています。

式典の終盤で、美味しいポーランド料理が用意されました。食事の間、写真撮影や会話が行われ、ゲスト達は大いに盛り上がっていました。おそらく、その日の主役であるゼノ修道士は、天国のどこかからゲストたちに微笑んでいたでしょう。

私たちは、白髪のひげのフランシスコ修道会宣教師の、素晴らしい献身的な宣教活動が祝福され、将来実を結ぶことを願いましょう。すなわち、カトリックへの改宗という形で、ゼノ修道士が生涯を通じて示した愛と同じ愛を持ったキリストへ、日本人が近づいていくことです。日本のフランシスコ修道会士たちは、マクシミリアン・コルベ神父とゼノ修道士が始めた日本人への福音宣教を続けていくでしょう。

慈善活動に加えて、布教誌「無原罪の聖母の騎士」と、奇跡のメダイを通じて、日本社会でゼノ修道士が広めた穢れなきマリアが、日本を母なる愛で包み込みますように。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         穢れなきマリアが、より多くの日本人を御子イエス・キリストへと導きますように。秋田の聖域の日本の母なる神が、日本の若い世代の改宗という恩恵を得られますように。日本がいつの日か、イエスとマリアの国となりますように。ポーランドのフランシスコ修道会宣教師たちが日本の地に撒いた種が将来、豊かな信仰の実を結びますように。

フランシスコ修道会 イェジ・ジェブロフスキ神父